2004年06月05日

GHQ下の国鉄技師訪米記 2006/01/23-2006/02/22 (23)

●114 50年前の国鉄技師訪米記を読んで Tad 2006/01/23 02:02
  115 Re:50年前の国鉄技師訪米記を読んで khiyama 2006/01/24 16:56
   118 プライミング Tad 2006/01/27 20:55
    119 遅ればせながら Jackおじちゃん 2006/01/28 16:54
     129 Re:遅ればせながら 鈴木光太郎 2006/02/04 18:58
      135 定置式ボイラーの思い出 ワークスK 2006/02/06 14:22
       136 Re:定置式ボイラーの思い出 Jackおじちゃん 2006/02/06 22:59
        138 Re:定置式ボイラーの思い出 鈴木光太郎 2006/02/07 00:02
        148 定置式ボイラーと軟水器 Tad 2006/02/15 22:00
   120 Re:50年前の国鉄技師訪米記を読んで khiyama 2006/01/31 20:02
    121 1950年当時のディーゼル機軸配置 ワークスK 2006/02/01 18:30
     127 Re:1950年当時のディーゼル機軸配置 khiyama 2006/02/03 20:45
   122 Re:50年前の国鉄技師訪米記を読んで 御幌鉄道 2006/02/02 10:58
    124 Re:50年前の国鉄技師訪米記を読んで ワークスK 2006/02/03 00:20
     128 Re:50年前の国鉄技師訪米記を読んで 鈴木光太郎 2006/02/03 23:08
      130 少年向けの鉄道入門書 ワークスK 2006/02/05 00:44
       133 Re:【50年前の】少年向けの鉄道入門書 ワークスK 2006/02/05 02:07
●125 50年前の国鉄技師訪米記 shun 2006/02/03 00:28
  126 Re:50年前の国鉄技師訪米記 Jackおじちゃん 2006/02/03 19:52
●142 関連発言 AT&SFスーパーチーフの事故 ワークスK 2006/02/09 00:53
  145 関連発言 ロサンゼルスLAUPTの航空写真 ワークスK 2006/02/09 22:09
●151 大圏航路の話 ワークスK 2006/02/22 00:36
  152 Re:大圏航路の話 Tad 2006/02/22 19:18

114 【50年前の】国鉄技師訪米記を読んで Tad 2006/01/23 02:02

久々の面白い記事を楽しく読ませて戴いてます。
羽田空港から出発して大圏航路に近い島伝いの航路を取るとこうなるのですね。ジェットになってから航続距離が長いのでこのようなことがなくなりました。
そういえば初の太平洋横断飛行は三沢から飛び立って、そのとき貰ったリンゴがあまりにもまずくて、成功後おいしいリンゴの苗をを贈ったのが青森のリンゴの始まりとか聞きました。

さてお尋ねの「ペーブメント」ですがこれは単なる舗装道路のことです。最近はあまり使いません。舗装されているのがふつうになったからです。当時日本には舗装道路はごく少なかったですから強調しているのかもしれません。

「フォーミング」と「プライミング」は缶水中の塩分の濃縮に伴う「泡立ち」と「汽水共溌」のことです。当時の日本は炭酸ナトリウムを入れて炭酸カルシウムを沈殿させるだけでしたから、煮詰まってくると炭酸ナトリウム水溶液の粘度が大きくなり泡立ちが起き易くなります。気水共溌は蒸気管に蒸気と缶水が吸い込まれることで、シリンダーが抜ける事故が発生します。

「バチェラー・オブ・アーツ」は単なる学士で4年制大学を出た人のことです。

表題を「50年前の‥・・」としていましたが、既に55年前となり、60年前、70年前‥‥となることが目に見えていますので、ここでは「GHQ下の‥‥」としました。記事自体はここにあります。




115 Re:【50年前の】国鉄技師訪米記を読んで khiyama 2006/01/24 16:56

> 久々の面白い記事を楽しく読ませて戴いてます。

ほんとうに面白いものを読ませていただきました。
費用対効果の面から飛行機と鉄道を比べる下りが面白いです。1950年ごろからすでに飛行機の方が割安感があったということは、鉄道による長距離旅客輸送は衰退の入り口に掛かっていたというわけなんでしょうね。
続編に期待しています。



118 【50年前の】プライミング Tad 2006/01/27 20:55

> 「フォーミング」と「プライミング」は缶水中の塩分の濃縮に伴う「泡立ち」と「汽水共溌」のことです。

プライミングは"priming”と綴りますが普通の辞書には載っていません。30年位前、井上豊氏に汽水共溌という言葉と同時に教えてもらいました。井上氏は機関区で教官もしてらしたのでよくご存知でした。
その後,大きい辞書が出るたびにこの言葉が載っているか調べるようになりました。
ランダムハウスの初版には載っていませんが、最近出た第二版と大修館書店のジーニアスにはちゃんと載っています。「水と蒸気がシリンダーに入ること」と書いてありました。たいしたものです。ランダムハウスには「シリンダーが破裂する」とまで書いてあります。やはり鉄道用語が一番良く載っているのはランダムハウスです。
プライミングのもともとの意味は魚が水面から跳ねるという意味です。

本屋に行ったついでにボイラー技士受験参考書を見てみましたら、ちゃんとフォーミングとプライミングは載っています。
思わず長く立ち読みをしてしまいました。清缶剤を加えても塩分が蓄積するのである程度は排水する必要がありその排水量が計算問題になっていました。蒸発量が多いときは3%程度の水滴混入があるようです。

ランダムハウスの第二版とボイラーの受験参考書を買ってしまいました。



119 【50年前の】遅ればせながら Jackおじちゃん 2006/01/28 16:54

遅ればせながら、読ませていただきました。
確かに興味深い内容な上に、文章も巧みで、一気に読んでしまいました。

小生、仕事の関係でアジアやアフリカの開発途上国の人たちと仕事をすることが多いのですが、これらの国々の人たちも、今の日本に来て、同じような思いを抱いくれているのかなぁと考えさせられます。「ローラーベアリングが良いことは分かっていても、品質の良いティムケン製品は高くて使えない。」・・・同じような気持ちを持つのでしょうか。(このBBSの趣旨から脱線することを書いてしまいました。恐縮です。)

ちなみに、フォーミングとプライミングは、その意味を始めて知りました。蒸気機関車はなくなっても、ボイラーはなくなってませんから、現在では、いろいろな新技術が開発されているのでしょうか?それとも、ピストンでは問題になるが、タービンではあまり問題にならないのでしょうか?(文系なので質問が頓珍漢かもしれませんが、どなたかご教示ください)

ワークスK様、とにかくも、続編を楽しみにしておりますので、よろしくお願いします。



120 Re:【50年前の】国鉄技師訪米記を読んで khiyama 2006/01/31 20:02

楽しく続編を読ませていただいております。
ちょっと疑問に思ったのですが、踏み切りで見たという「1.ディーゼル電気機関車(1-C-C-1)」とは何でしょうね?
こういう先輪の付いたディーゼル機関車といえばボールドウィンくらいしか思いつかないのですが、1-C-C-1というのは無いと思うのです。
というわけでどなたか教えてください。お願いします。



121 【50年前の】1950年当時のディーゼル機軸配置 ワークスK 2006/02/01 18:30

khiyamaさん、いつもご愛読ありがとうございます。

もちろん、この本の著者は蒸機の技術者で、その上“ファン”の気配も感じられますから内容は相当に正確だとは思うものの、一部、金属材料や構造には不慣れな記述が散見されます。たぶん、熱力学、ボイラーが専門なのではないでしょうか。

で、ディーゼル機の軸配置で1-C-C-1とC-Cですが、私は、前者が旅客用のEユニットやPAで、A1A-A1A、後者が貨物用のFユニットかFAで、B-Bの見誤りではないかと考えています。ただE7やPAが貨物を牽いていた可能性はありますが……。1950年といえばフードユニット・タイプは、GP7が49年10月に登場したばかり、SD7は52年からです。

渡米目的が蒸機の水処理調査ですから、工場や機関区でもディーゼル機をつぶさに見ていなかったのだと思います。



122 Re:【50年前の】国鉄技師訪米記を読んで 御幌鉄道 2006/02/02 10:58

ほんとうに面白いものを読ませて頂いています。毎日メールを開くのが楽しみです。昭和26年というと私は大学1年生で海外旅行など夢のまた夢の時代でした。国鉄は経済力があったのですね。余裕がおありでしたら鉄道関係以外の所もお願いします。現在逗子に住んでいますので逗子の地番についてなら調べることが出来ると思います。



124 Re:【50年前の】国鉄技師訪米記を読んで ワークスK 2006/02/03 00:20

逗子にお住まいとのこと、もしお調べいただけるのでしたら、甘えさせて頂きたいと存じます。ここでその地番を公表すると、いろいろと差し障りも出るやもしれません。念のため、御幌鉄道様に直接お願いしたいと存じますので、当方へ個人メールをいただければ幸いです。私のアドレスは、プロフィールページにあります。



125 【50年前の】国鉄技師訪米記 shun 2006/02/03 00:28

興味ある情報を有難うございます! 毎回、楽しみにしております。
大変なご苦労と思いますので、申し上げにくいのですが、、、「鉄道関係の記述」に絞らず、全文読みたいです!!!



126 Re:【50年前の】国鉄技師訪米記 Jackおじちゃん 2006/02/03 19:52

ワークスK様、
実は、小生もまったく同じで、全文掲載していただければ幸甚に存じます。

> 興味ある情報を有難うございます! 毎回、楽しみにしております。
> 大変なご苦労と思いますので、申し上げにくいのですが、、、「鉄道関係の記述」に絞らず、全文読みたいです!!!



127 Re:【50年前の】1950年当時のディーゼル機軸配置 khiyama 2006/02/03 20:45

ワークスKさん、お答えありがとうございます。。

> で、ディーゼル機の軸配置で1-C-C-1とC-Cですが、私は、前者が旅客用のEユニットやPAで、A1A-A1A、後者が貨物用のFユニットかFAで、B-Bの見誤りではないか

やっぱりそういうことでしょうかね。そう読めば納得できると思いながら読んでおりました。

B&Oの機関車添乗の中で「太い端からは物凄い音を出しており」と有りましたが、メインロッドのビッグエンドから盛大に音が出ていたということなんでしょう。この部分は日本語の翻訳が必要かとちょっと考えてしまいました。

続きが楽しみです。



128 Re:【50年前の】国鉄技師訪米記を読んで 鈴木光太郎 2006/02/03 23:08

この本の著者の福島善清氏は別の著書があったようです。
【タイトル 日本の鉄道車両
責任表示 小沢俊雄,福島善清著
出版者 ポプラ社
出版年 昭和30
シリーズ名 少年産業博物館 ; 8
個人著者標目 小沢, 俊雄 (1911-) ‖オザワ,トシオ
個人著者標目 福島, 善清 (1914-) ‖フクシマ,ヨシキヨ 】
以上は国会図書館に蔵書があります。
【(1914-) 】という部分は1914年お生まれと想像。



129 Re:【50年前の】遅ればせながら 鈴木光太郎 2006/02/04 18:58

>蒸気機関車はなくなっても、ボイラーはなくなってませんから、現在では、いろいろな新技術が開発されているのでしょうか?

→機関車用以外の定置式ボイラーは、大抵は循環式(コンデンサー式)なので問題にならないんじゃないでしょうか?
機関車と違い吐き出した蒸気を冷やしてお湯に戻して、湯ざましを何回でも使うので、新たな水の補給はほとんどしません。
故にスケールの堆積はほとんど無い。(熱効率も良い)
プライミングの理由の1つにボイラー水位が高過ぎて、蒸気ドーム内の吸い口(?)に水のしぶきが入っちゃうなんてのもありますが、定置式では、機関車のような揺れもなく、水位の制御も正確かと思います。
機関車でコンデンサー式が少数しか普及しなかったのは、装置全体を引っ張って走るにはデカ過ぎ重過ぎからかと。



130 【50年前の】少年向けの鉄道入門書 ワークスK 2006/02/05 00:44

 コメントを読ませていただいて、突然、大昔のことを思い出しました。小学校の図書室で度々読みふけった本のことです。ご指摘頂いたものが、正にこれに該当するのではないかと思うのです。
 内容を具体的に覚えているわけではないのですが、大人向けといっても可笑しくないレベルで生真面目な雰囲気だった様な気がします。その後、たくさんの入門書に触れてきましたが、どれも「変に読者に媚びる紛い物」と感じてしまうのは、ことによると、この本の影響かもしれません。
 信州の片田舎のこととて、「子供の科学」か「模型とラジオ」を、偶に親と出向く街の本屋で立ち読みするのが唯一の情報源になるちょっと前のことです。何とか探してみたいと思います。お教えいただき、本当にありがとうございました。

 1914年生まれということなら、1950年には36歳で、二人のお子さんの年齢とも合致しますね。



133 Re:【50年前の】少年向けの鉄道入門書 ワークスK 2006/02/05 02:07

思い出してきました。湘南電車の存在は、確か、この本で知りました。



135 【京阪】定置式ボイラーの思い出 ワークスK 2006/02/06 14:22

 そういえば10年ほど前、勤務していた工場の重油燃焼ボイラーを都市ガスに出来ないか、という話が出ました。数台の小さなユニットを設置し、負荷に合わせて運転すれば効率的で、専門のボイラー技士を置かずに自動運転できるからという理由でした。結局、都市ガスの管を数百メートルも敷設する費用が馬鹿にならずポシャってしまいました。
 主に暖房に使っていたのですが、工場のどこにも蒸気の水煙が上がっていた記憶がないことを考えると、復水式だったのでしょうか。それと、缶水に使っていた水が、上水道か工業用水かも質し忘れています。スケールの話を聞かなかったものの、ボイラーの寿命が短くて意外に思ったものです。



136 Re:定置式ボイラーの思い出 Jackおじちゃん 2006/02/06 22:59

我が家の実家はクリーニング店を営んでおりまして、給湯用とアイロン用に二つの小型ボイラーを持っていますが、いずれも復水式と思えません。水道水使用ですが、スケールはたまりっぱなしなんでしょうか?(ボイラーといっても、温度と圧力がたいしたことありませんけど)



138 Re:定置式ボイラーの思い出 鈴木光太郎 2006/02/07 00:02

> クリーニング店。水道水使用ですが、スケールはたまりっぱなしなんでしょうか

私の知識では能力を超えてるので他人様頼りで探しますと。
ここがありました。
匿名掲示板なので、限界はありますが、
「15: ボイラーについて」のあたりにスケールの関して若干の説明がありました。



142 AT&SFスーパーチーフの事故 ワークスK 2006/02/09 00:53


「50年前の国鉄技師訪米記11:サンタフェ鉄道(その2)」に掲載した、原文にいう「ロサンゼルスのヤード、きれいな整頓」という写真が、実はロサンゼルスのUnion Passenger Terminal(略称LAUPT)で、ダウンタウン方向を向いたショットということが判明しました。これが撮影された2年前の1948年に、サンタフェのスーパーチーフを牽引するF3が車止めを突破し、左に見える柵を突き破って下の通りに落ちそうになったそうです。Wikipediaの写真をご覧ください。



145 ロサンゼルスLAUPTの航空写真 ワークスK 2006/02/09 22:09

ロサンゼルスのUnion Passenger Terminal(略称LAUPT)はWikipediaに出ています。また、航空写真はここ!でしょうか。



148 定置式ボイラーと軟水器 Tad 2006/02/15 22:00

> 我が家の実家はクリーニング店を営んでおりまして、給湯用とアイロン用に二つの小型ボイラーを持っていますが、いずれも復水式と思えません。水道水使用ですが、スケールはたまりっぱなしなんでしょうか?(ボイラーといっても、温度と圧力がたいしたことありませんけど)

このような場合、軟水器を使用してカルシウムイオンを除去することが必要です。近所のクリーニング屋が廃業するので覗きに行ったことがあります。20年の使用でもスケールはゼロでした。
同業者のボイラーで軟水器をつけていないところは3年ごとにボイラーの取替えをしていたと言っていますから、その効果は絶大です。

軟水器は水中のカルシウムイオンを充填物中のナトリウムイオンで取り替えるもので、吸着されたカルシウムイオンは、1か月に一回の再生処理で生き返ります。充填物を高濃度の食塩水に浸す作業をします。するとナトリウムイオンがカルシウムイオンを追い出します。

ナトリウムの塩は溶解度が大きいのでボイラー中に析出することはありません。しかし多少は濃度が上昇するので2週間に一回くらいはボイラー中の水を捨てる必要があるでしょう。

日本ではカルシウムだけが問題になりますが、外国ではマグネシウムも同時に考えねばなりません。いずれも軟水器で取り除くことができます。



151 【50年前の】大圏航路の話 ワークスK 2006/02/22 00:36

「50年前の国鉄技師訪米記2:羽田からシカゴまでにあった大圏ルートの話ですが、船の方ですけれど、"K" LineのHPの中にありました。結構面白いので、紹介しておきます。



152 Re:【50年前の】大圏航路の話 Tad 2006/02/22 19:18

日本からアメリカ合衆国への大圏航路は、当然シアトル行きが最短になります。今でこそ船、飛行機とも航続距離に余裕がありますが、当初はかなりギリギリでしたから、シアトルという都市は交通の要衝として栄えました。
大西洋航路でも、カナダのノヴァスコシアのハリファックスという都市は、アメリカからヨーロッパへの大圏航路上の実用上最後の陸地で、これまた交通の要衝として栄えた町です。

話は変わりますが、自動車の方面で有名なパリ・ダカールのダカールも南アメリカへの最短ルートの地点です。パリからいくつかの地を経てダカールに着き、ここから南アメリカに行くというのはつい50年前までは当然というかこれしかなかったのです。

大圏航路に沿っても時間的に最短ではなくなったのは、船の話にもありましたように風の影響です。
先ごろサンフランシスコに行きました際、ジェット気流が異常に強い日だったらしく、Tail Wind(追い風201mph、時速322キロ)でわずか7時間未満で到着しました。帰りはそれを避けて南を廻り11時間半かかって到着しました。
往きの飛行機の対地速度は時速1200キロを大幅に超え、私としてははじめての"超音速飛行"でした。パイロットは上手に飛行機を操りジェット気流からはみ出さないようにするのですが、時々はみ出して機体は大きく揺れました。しかし客は事情をよくわかっていたので文句も言わず、到着時には早い到着に拍手が起こりました。


posted by ワークスK at 23:50| Comment(0) | 第2次掲示板ログ 2005年− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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